神社の数が日本一多いのは、実は新潟県。その意外な理由とは。

2026/05/29 更新

「神社の数が日本一多い都道府県はどこか?」

京都、奈良、あるいは島根——そう答えたくなるのが正直なところではないでしょうか。ところが答えは、新潟県です。文化庁「宗教統計調査」(2023年)によると、新潟県の神社数は4,667社。2位の兵庫県が3,857社ですから、その差は約900社。「日本一」というより、「ダントツ」という表現がふさわしい数字です。

ではなぜ、新潟にこれほど多くの神社が生まれ、そして今も残っているのか。その理由は大きく二つあります。

理由① もともと圧倒的に多かった|江戸時代の新田開発

話は江戸時代に遡ります。

明治21年(1888年)の都道府県別人口ランキングを見ると、新潟県は166万人超で全国1位。2位の兵庫県(151万人)を大きく引き離していました。この人口の多さを支えたのが、江戸時代を通じて進められた新田開発です。

越後平野の広大な湿地帯を切り拓き、新しい村(新田)が次々と生まれました。水の管理や田んぼの維持には膨大な共同作業が必要で、集落ごとの強い結束が求められていました。そして集落が生まれるたびに、必ずそこには「鎮守様」が祀られました。五穀豊穣を祈り、災害から村を守る精神的な支柱として。祭りを通じて人々の心の拠り所として。集落の数だけ、神社が増えていったのです。

「一村一社」——ひとつの村にひとつの神社。この原則が、新潟の集落の数だけ神社を生みました。稲作が盛んなこの地では、春には豊作を願い、秋には収穫を感謝して神に祈る。神社は農耕と共同体の中心にあり続けました。

理由② 国の政策に、住民が「それはできない」と踏ん張った|明治の神社合祀政策

明治時代に入ると、政府は大きな政策を打ち出します。「神社合祀」です。

小規模な神社や由緒が曖昧な祠を統廃合し、行政上の村に一社ずつ「村社」を置く「一町村一社」を標準として、内務省が全国の神社の整理を進めました。その結果、明治期初期に約19万社あった神社は、合祀後には約11万社にまで減少。全国で約4割もの神社が消えました。

地域に根付いた信仰の場が、国家の方針ひとつで大量に失われることとなりました。しかし新潟は違いました。

明治後期の現・新潟市域の村々の記録を見ると、13村のうち5村で神社数がまったく変化していません。住民の反対が強く、地域の鎮守様を守り抜いたのです。国が強く推進した合祀政策が、新潟では相当程度、骨抜きになっていました。

道端の小さな鳥居に、歴史が宿っている

新潟の神社が多い理由、まとめると今回の調査で見えてきた理由は、大きく二つです。

①もともと圧倒的に多かった
江戸時代の新田開発によって集落数・人口が急増し、集落ごとに神社が生まれた結果、全国でも突出した神社数を誇るようになりました。

②国の政策の影響をあまり受けなかった
明治政府の神社合祀政策によって全国で4割の神社が消えた中、新潟では住民の抵抗が強く、統合があまり進みませんでした。地域に根付いた信仰が、そのまま生き残ったのです。

今も新潟の集落を歩くと、道端にひっそりと立つ小さな鳥居や祠に出会います。それはただの風景ではありません。江戸時代に誰かが切り拓いた村の名残かもしれない。明治政府の統廃合令に、地域の人々が「それはできない」と踏ん張った、その結果として今もそこに建っているのかもしれない。

新潟を訪れる際は、有名な神社だけでなく、名もなき小さな祠にも、ぜひ足を止めてみてください。その土地に生きた人々の祈りが、静かにそこに息づいています。

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